頑張れはスラックティビズム

前にも書きましたけれど、私は「頑張れ」という言葉が嫌いです。
だから極力自分では使わないし人に言われるのも余り好きではありません。

頑張れという言葉には、全くといっていい程に具体性というものを感じないのです。具体的に何をどうということには全く触れず、それで居て何かをせよというこの言葉、酷く無責任じゃないかなと思うのですよ。

1936年のベルリンオリンピックの女子水泳にてNHKのアナウンサーが興奮のあまり「前畑頑張れ!」を叫び続けるということも有りましたが、これも興奮のあまりのことで、言ってみれば感動詞の1種かな、というのが私の考えるところ。

さて、地震発生から2ヶ月が経ちました。生活の中で「頑張ろう日本」というフレーズを見ない日はおよそないといっていいでしょう。特にテレビを見ていると。
NHKまでも「まけないで」とか言い出してまことに鬱陶しい。一体全体我々(なかんずく被災者)は何と戦っているのかと。大体こういうことを言っている当人は案外何もしていなかったり、しているつもりになっているだけだったりするわけですよ。

苦しいとき、しんどいとき、悲しいときに「がんばろう」とか「まけないで」とか言うのは却ってプレッシャーになる、というのは精神医学の立場からときどき聞かれるようになりました。こういうときにほしいのは、励まし(のつもり)の言葉よりは手助けだったり具体的なアドバイスや指摘だったりこれまでへの評価だったりするわけです。

風邪引いて以来全然出来てませんけれども、ブートキャンプのビリー隊長を見ているとこのあたりの絶妙さが大変よく分かります。

「君のペースでやってくれ」
「初心者は膝をついてすると楽だ」
「声を出せ!」
「のどが渇いたら水分を補給することが大事だ」
「疲れたら休んでもいいが、絶対に諦めるな!」
「苦しいが結果は必ずついてくる!」
「ビクトリー!」

なるほど。人気が出るわけです。

そういうわけで、震災復興キャンペーンもこのノリでいったら良いんじゃないでしょうか。

「ビリーズ復興キャンプへようこそ!」
「まずは基本の片付けからだ」
「ゴミ捨て場まで、1人につき1日10往復だ!」
「初心者は半分からでも良い、君のペースでやってくれ」
「疲れたら休んでもいいが、絶対に諦めるな!」
「苦しいが結果は必ずついてくる!」
「ビクトリー!」

こう。そして遠隔地向けに

「ビリーズ復興基金へようこそ!」
「まずは基本の寄付からだ」
「1人1000円でも100万人なら10億円だ!」
「半分でもいい、君の財布と相談してくれ」
「大事なことは継続だ!少しずつでも毎月続けることが大切だ!」
「必要な物資は常に変わる、チェックを怠るんじゃないぞ!」
「痛み無くして得るもの無し!」
「苦しいが結果は必ずついてくる!」
「ビクトリー!」

お涙頂戴系よりはよほどいいと思うんだけどな。