私の酒が飲めなくても別にいいよ。

先日の飲み会で先輩が上司に熱燗を注いでいたわけですが、注ぎ口でないところから注いでいたのでお酒がこぼれて「あちちっ!」と悲鳴を上げるはめに。

t> 「そりゃそうなりますよ。なんで注ぎ口から注がないんです?」

上司 「それでええんよ。中国の故事で武将が注ぎ口に毒が塗ってあるのを見破って別のところから注いだっていうのに由来してるらしい。」
先輩 「僕はエン(円と縁)が切れるに通じるからって聞きました。」
全員 「でも注ぎ口からが一番綺麗に注げるはず。そのために付いてるんだし。」

この「日本酒を徳利から注ぐときは注ぎ口ではないところから注ぐのがマナー」という謎の風習、調べてみると他にも説があるらしいですね。上で出た2つのほか、計4つの説がヒット。

  1. 武将が毒を見破ったとする説(ネットでは古代中国ではなく日本の戦国時代の説ばかりだった)
  2. エンが切れるの忌み言葉説
  3. 注ぎにくいところから綺麗に注いでみせるのが粋とする説
  4. 注ぎ口を上にすると仏教の宝珠の形になり仏様への敬意になる説

ちなみに、今の形の徳利が酒器として普及したのは江戸後期なので武将毒殺説は完全にガセビアです。立場的に上司には言わないことにしますけど。
徳利といったらそもそもはずんぐりして口の小さい壺みたいなのを指す言葉で、卓上の酒器としては三人官女の一人が持っている「銚子」が使われていたそうですよ。

ここのシーンで師匠が右手に持ってるのが当時でいう徳利。


2の説については、仮に事実だとしても江戸っ子の言葉遊びかダジャレ程度のお話じゃないかと思います。
3,4についてはどう考えてもヨッパライが変なところから注いだのを屁理屈でごまかしたんだろって気がします。
なんかこう、落語でありますね、こんな作り話でご隠居がアホな子を騙してからかうシーンが。
そんでアホな子が真に受けてアホな仲間に広めてエチケットに祭り上げちゃったとか、そんな成り立ちじゃないかと勘ぐってみる。
池波正太郎先生が生きてたら「そんなのを半可通って言うんだよ」と言いそうです。


そう言うわけで、私は注ぎ口からお酌をしたいと思います。「私は流体力学と徳利を作った人の意志を尊重します」とか言って。熱燗こぼして汚したくないし。