辛い苦しいしんどいだるい

最近のネット、とりわけつぶやき界隈ではいろいろとギスギスすることが多いらしくて、といっても私はつぶやきアカウントを持ってないのでチラ見程度ですけれど、

「私が不快だと感じた」

「私は苦しんだ」

みたいなことをまるで錦の御旗のごとく掲げる人が目に付くようですね。

 

ホントにこれは大人になったら理解しておく必要のある事柄だと思うんですけれど、

「あなたが辛かったり苦しかったり不愉快に思ったりすることが、あなたが正しい、あなたの言うことが正当である、それを理由に他者を責めて良い、ということにはならないんだ」

ということですよね。

 

辛かったり苦しかったりしたらヨシヨシしてもらえるのは子供のうちだけなんですよ。

それで周りから配慮されて優先されてなんでも言うこと聞いてもらえるなら、毎日毎日心臓が重苦しくてしんどくてつらくて大変な日々を送ってる私などは健常者にありとあらゆる無理難題を吹っ掛けても許されそうなものですけれど、そんなわけないでしょ。

 

周りが悪いとか社会が変われとかそういうことを言う前に、それらを前提条件としてその中で「自分がどうするか」ということを考えてやっていくしかないんですよ。

 

こんなことを改めて書いてるとホントにぼちぼち死んでもいいかなとか思っちゃうな、これ。