革命の国 その2

今日はハバナの街並みをご紹介。

キューバの首都ハバナ、特にその旧市街エリア"la Habana Vieja(ラ・アバーナ・ビエハ)"は、コロニアル様式の建物が立ち並ぶその全体が世界遺産として登録されています。


旧市街の中心近く、「カピトリオ」あたりから。


左上の旧国会議事堂「カピトリオ」はアメリカの連邦議会議事堂を模して建てられたそう。
後で国交断絶することになろうとは立てた時には思わなんだに違いない。
左下はグランテアトル、国立劇場
右側は上下ともカピトリオ近くの建物。
どの建物も大時代な贅を尽くした雰囲気が伝わりますな。




こちらは旧市街のメインストリートたるオビスポ通りから少し外れた所で撮った写真。
メインスポットだけじゃなくて、旧市街全体がこういう佇まいなんだっていうのがわかります。




世界中どこにでもある中華街。と言ってもせいぜい100mか200mくらい。
しかも混血の結果か社会主義による移住の指示でもあったのか、中国人然とした人は見かけませんでしたよ。




オビスポ通りの真ん中らへんにある、かつてヘミングウェイが定宿にしていたホテル・アンボス・ムンドス。
と、その正面にある数少ないwi-fiスポット。
誰もかれもがスマホに夢中。なお1時間300円。





カサ(民宿)から眺めるハバナの朝焼け。
なおこれで朝7時半くらい。夜が長い分、朝も遅いのです。




これは旧市街ではなく新市街寄りの街並み。
高層建築がないのが違い。




これ、ハバナの警察署。
要塞をそのまま使っちゃってるらしい。




新市街と旧市街を結ぶマレコン通りという海岸沿いの道。右側は夜の写真ね。
道沿いに古めかしくてカラフルな建物が立ち並んでいるのです。




ハバナの対岸から取った夜景。




キューバの簡単な歴史をおさらいすると、

  1. スペインが現地民をジェノサイドして入植
  2. 2度にわたる独立闘争、後期にアメリカが介入してスペインから独立するもアメリカの傀儡政権に
  3. 国民から搾取するアメリカの資本家と傀儡政権に対してカストロらが革命闘争開始、ゲバラらも合流
  4. 2年に及ぶ闘争の末バチスタ大統領が国外逃亡、革命政権樹立

って流れらしい。


で、上に出てきたような建物は基本的にスペインやアメリカのブルジョワが建てたんですよ。
アメリカ支配時代はハバナは今で言うベガスみたいな一大歓楽地だったらしく、やたらに建物の作りが豪華なのもそのせいでしょう。


で、革命で資本家を追い出したはいいけれど、結局追い出した彼らのすねをかじっているんだなあとか、自力で彼らを超えることはできなかったんだなあとか、そういうことを思っちゃう。
そして、革命それ自体難しいんだけれど、革命の後の発展はもっと難しいんだなって思うんですよね。
よく見ると建物もあちこちすっごいぼろぼろなのよ。維持さえ精一杯。
あと、ヘミングウェイキューバ大好きっていうのも、当時は歓楽地だったはずだと思うとちょっと見る目が変わるよね。